量子力学
最近、SF作品にハマっている。 以前からスターウォーズをはじめとしたSF作品は好きだったが、最近見た「インターステラー」は特に面白かった(今更感があるが)。 なぜ面白かったのかというと、バックグラウンドにある科学的な要素が現実の物理学に基づいているからであり、宇宙に対してものすごくワクワクしたからだ。 宇宙をテーマにしたインターステラーの背景には、現在で最も最先端な物理学である量子重力理論がある。
量子重力理論とは、量子力学と相対性理論の統一を試みる理論である。 量子力学と相対性理論は難しい理論である。 私も正直全然理解できていない。 自分の勉強のためにも以後、自学したことを記していこうと思う。 長くなるのでまずは量子力学について記す。
量子力学を説明する前の告白
量子力学について、今私が持ち合わせている知識で説明しようと思う。 超伝導を研究していた私が量子力学を十分に説明できないのは恥だ。 なぜならば、超伝導状態も微視的に見ると、電流の担い手である電子の量子的な振る舞いが原因であるからである。 超伝導現象は電子がクーパ対を形成することによって、1つのエネルギー準位を複数の粒子が占有することによって起こるとされている(ボーズ・アインシュタイン凝縮)。 一方、普通の電子は1つのエネルギー準位には1つの電子しか占有できない(パウリの排他原理)。 これらの理論は、量子力学の中でも難しい部類に入るにも関わらず、私は量子力学の基礎部分についてそれほど理解していない。 なんとなくわかるが、その理由を数式を用いて説明することができない。 だから恥だ。
量子力学について
粒子性
量子力学は1900年に生まれたとされる。 それまではニュートンが確立した運動方程式(ものの運動を説明する数式)やマクスウェルが確立した電磁気学(電磁波を説明する数式)など、古典力学と呼ばれる物理学が支配的であった。 これら古典物理学においては、あらゆるものは連続であるとされていた。 連続というのは、無限に分割できることである。 例えば空間の単位である距離は無限に分割できるとされていた。 1 cmはどれだけにも分割できる。 分割数がある程度大きくなると、我々が見えなくなり(観測できなくなり)、興味がなくなるだけであって、理論上は無限に分割できるとされていた。 この感覚は、現代人の私たちにとっても違和感はないと思う。 仮に「いや無限には分割できないでしょ」と思っても、それがなぜ、どのような原理によって無限に分割できないのかは思いつかないのではないかと思う。 光についても同様に無限に分割できると考えられていた。 光はいろんな周波数(色)の光が重なり合って発せられている。 光の周波数を分解したものを光のスペクトルと呼ぶ 例えば、LED電球が台頭する前に使われていた白熱電球では、目にみえる白い光だけではなく赤外線が多く含まれている。 (余談: LEDが可視光を多く放射する一方で、白熱電球からは赤外線が多く放射されることから白熱電球は投入電力に対する可視光のエネルギー変換効率が悪いとされる。) また、虹は太陽光が雲にある水分によって屈折させられて、スペクトルに分解(周波数 = 色ごとに分解)されたものが見える。 古典物理学では、光の周波数も無限に分割できて、以下ような周波数もとり得るとされていた。
20世紀初頭は、製鉄業が盛んであった。 製鉄の際には溶鉱炉の中に鉄を入れて熱し、その光の色を観察することで鉄の温度を測ることが盛んに行われていた。 具体的には光の色が赤黒いと鉄の温度が低く、白いと鉄の温度が高いことがわかっていた。 このような背景から、光のスペクトルとエネルギーの関係の研究が盛んに行われていた。 レイリー・ジーンズは光のスペクトルとエネルギーの関係の数式化を試みた一人である。 レイリージーンズは光の振動数の変化(数学的に書くと)すると、
となると説明している。 この数式が言いたいのは、光のスペクトルの変化分に応じて、エネルギー密度が存在するということである。 しかし、古典力学の「周波数が連続であり、無限に分割できる」を前提とすると、全ての周波数、つまり無限の周波数についてこの数式を適用して、その結果を足し合わせると無限になることがわかると思う。 あらゆる光のエネルギー密度の和は無限大ということになってしまい、これは現実の現象に反する。 これが古典力学が最初にぶち当たった矛盾である。 この現象を説明するためには新しい概念を持ち込む必要があった。
この矛盾をどうにかできないかと、計算に細工をしようと考えたのがプランクである。 プランクは光の周波数ごとに詰めることができるエネルギーには限界があると考え以下の数式を提案した。
ここで、は光のエネルギー、は光の周波数であり、はプランク定数と呼ばれるものである。 この数式を言い換えるとエネルギーは周波数ごとにプランク定数で定められる値の分だけ、飛び飛びの値しか取り得ないということである。 これは、エネルギーは連続的に変化する(無限に分割できる)とした古典物理学に反する考え方である。 しかし、こう考えることによって実験結果を十分に説明することができた。
プランクにとってこの数式は実験結果を説明するために施した工夫にすぎなかったらしい。 しかし、アインシュタインによってもこの数式がどうやら確からしいとする実験結果が報告された。 アインシュタインは初めての論文投稿で3本の論文を書き上げている。 その一つは有名な相対性理論についてであるが、もうひとつは量子力学の理論を支えた光電効果についての論文であることはあまり知られていない。 彼は光電効果の実験結果を説明するためにプランクの公式を用いた。
光をあてると電子が飛び出す(電気が流れる)物質がある。 光を当てると電子が飛び出す現象を光電効果という。 光電効果の実験では、電子が飛び出すような光の条件を確かめたものである。 それまでの古典物理学、あるいは私たちの一般的な考えでは光の強さが大きければ大きいほど光のエネルギーも大きくなると考える。 光電効果の実験では古典物理学の考えに基づき、強度の大きい光を照射することによって電子が飛び出すと予想されていた。 しかし、実験結果はこの予想に反した。 光の強度をいくら高めても電子が飛び出さないときがあった。 一方で、光の振動数を高めると例え光の強度が小さくても電子が飛び出すことが確認されたのである。 つまり、電子が飛び出すかどうかは光の振動数が支配的な要因であるとことがわかった。 アインシュタインは先述のプランクの公式を用いることでこの現象を説明した。 プランクの式によると、エネルギーの最小大きさは光の振動数で決まる。 光が粒子であると仮定すると、各々の光の粒子が持つエネルギーはその振動数によって決定され、振動数が大きいほどエネルギーは大きくなる。 古典力学では、光は波と考えられていたから、この「光は粒子である」という仮説は大胆だ。 アインシュタインは大きなエネルギーを持った光の粒子が電子に衝突したときに電子が飛び出す、という解釈をしたのである。 一方で、光の強度は光の粒子の多さに対応すると考えた。 つまり、電子が飛び出すかどうかは光の粒の多さではなく、個々の光の粒が持つエネルギーの大きさが重要であるということである。 カルロ・ロヴェッリは「すごい物理学講義」の中で、自動車に降り注ぐ雹を例にあげてわかりやすく説明している。 自動車に雹が降り注ぐとき、雹それぞれの大きさが小さい場合は量が多くても自動車に害はない。 しかし大粒の雹が1つでも降り注ぐと自動車には大きな被害を与える。
このようにして、波と考えられていた光が粒的な性質を持っていることが明らかになった。 これは連続的に変化する(無限に分割できる)と考えられていた光のエネルギーが、その粒子的な性質の解明によって光エネルギーもまた離散的(飛び飛びの)な値しか取り得ないことを示している。 この「粒子性」は量子力学の根幹の一つである。
不確定性
ニールス・ボーアは原子の構造について研究していた。 原子の構造はこのころに大分解明されており、原子核の周りに電子が回っているというモデルが提案されていた。 しかし、このモデルでも原子の持つ色については何も説明ができていなかった。 原子の色について詳しく調べると、元素ごとに固有の色を発することがわかった。 先述したように、光はさらにそれを構成している光に分解することができる(光のスペクトル)。 原子について、スペクトル分析を行うと、元素ごとに固有のスペクトルがあることがわかった。 この光は原子の周りを回る電子が振動することによって発するものである。 連続的な値を取り得るとするニュートン力学では、原子の周りを回る電子はあらゆる速度で回転し、あらゆる振動数で振動することができるから、光のスペクトルが元素によって異なることは説明できなかった。 つまり、元素の光のスペクトルは離散的であるということである。 ボーアは「原子の中の電子が持つエネルギーもまた量子化された値しか取り得ない」という仮説を導入した。 それによって実験結果を説明することができた。 ボーアはさらに、原子の周りを回る電子は特定の軌道にのみしか存在しないと推測した。 この軌道は複数あり、電子は軌道間を飛び跳ねることができる(これを量子跳躍という)。 このようにボーアは原子の周りに存在する電子について、電子軌道にしか存在できないこと、電子軌道間を量子跳躍することで移動できることを仮定した。 このように仮定することで実験結果を説明することができただけではなく、道のスペクトルについても予想することができた。
しかし、量子跳躍が何を意味するのかは依然明らかにされていなかった。 ハイゼンベルクは「もし電子は何かと相互作用を起こしたとき、何かと衝突したときしか現れないとしたら?」、「他のものと相互作用するまでは電子がどこに存在するかは確率的にしかわからないとしたら?」というこれもまた大胆な仮説を立てた。 ハイゼンベルクは夜の暗い公園を散歩しているときに、街灯の間を移動する男性の姿を見てこのアイデアを思いついたとされている。 やはり散歩っていいんだなあ。 ハイゼンベルクはこの仮説をもとに計算を進めた。 すると、電子が存在するには何かと相互作用をしているときだけという衝撃的な結論が導かれた。 この結果から量子跳躍を説明すると、電子は軌道間を決して飛び跳ねているわけではなくて、そのようにしか電子が存在できないということだ。 我々が電子が飛び跳ねていると思っていただけである。
電子は相互作用したときにしか存在しないという考え方は混乱する。 私たちの感覚では、ボールを投げたときにはどこから投げて、どこを通って、どこに落ちるかを認識することが出来るし、予測することもできる。 同じように投げたボールはそのボールが通る道筋も1つである。 だからドッチボールで相手を当てることができる。 しかし、電子の場合はどこを通るかについては確率的なことしかわからない。 これは電子が小さすぎて測定できないから、とかそういった理由ではなく、量子力学から導かれる原理である。 まとめると、ニュートン力学に基づくと物体の運動の未来は予測できるが、量子力学はこれに反して物体の運動は確率的であるということである。
まとめ
量子力学はこれ以外にもシュレディンガーの猫で有名なシュレディンガーが提案したシュレディンガー方程式や、ハイゼンベルクの不確定性原理など、これまでの物理学では考えられなかったような新しい概念が提案されている。 いずれにしても、ここで説明した「粒子性」と「不確定性」に立脚しているものだと思う。 量子力学がなぜ魅力的に感じるかというと、これまで自分が信じていた物理法則が覆されるからだ。 まるでSF映画やオカルトを見ている時のようなワクワクする感覚がある(実際、量子力学を悪く利用してオカルト的な情報商材を売る人もいる。アマゾンで「量子力学 人生」とかで調べるとわかると思う)。 しかし、量子力学はSFでもオカルトでもない。 量子力学によって現象を説明・予測できるから、現在の科学があるのだ。 半導体、超伝導体などなど量子力学がなければ研究は進まなかっただろう。
現在、私は改めて量子力学を1から学び直している。 学生の頃は勉強をサボっていたし、あまり物理が得意じゃなかったので避けていた。 それから、電子工学科ということもあって、量子力学の数式を知らなくても、超伝導現象もなんとなく理解できている気がしていたからだ。
参考文献
カルロ・ロヴェッリの本は物理学や数学が苦手でも現代物理学を楽しむことが出来る本なのでおすすめ。
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